波動の庭
開局30周年を記念して、平成9年11月本社前に野外彫刻庭園「波動の庭」を開設しました。身近に芸術に触れることが出来るコミュニティースペースとして、多くの県民の皆様や世界から訪れる人々に、愛され親しまれています。(設計監修:東京芸術大学教授 米林雄一氏)
波動のモニュメント
波動のモニュメントは東洋の伝統的な美の心と、西洋の論理的な美意識を円柱と角柱であらわし、それにささえられて天空にのびる楕円形で構成した。
長野から世界へ、そして現代から未来へ、新しい世紀に向け、私達の夢や希望が、はるか宇宙へのびてゆくように祈りながら、音の波紋の広がりをかさね、伝播する波動で象徴した。
風を受けるゆるやかに揺れながら、自然との交感の場となるように望んでいる。
米林 雄一 Yonebayashi Yuichi
時空・112
彫刻は「魂」である
石井 厚生 ishi Atsuo
INSIDE OUT F.G.1
私は1988年から今のインサイドアウトのシリーズの作品を制作しており、この作品もそのシリーズ上の作品である。
その考え方は四角い石を割って内側を外側にした時、どのような形態が、感情が現れてくるだろうか、という疑問からはじまった。その方法は私の意志によってこのように割ろうと石に矢穴(クサビを入れる穴)を彫り、その向き、方向、間隔だけで私の意図を素材である石に伝え、割る。その結果、石の側の意志(素成、性質)によって様々な割れ方が現れてくる。当然、私は今までの経験や素材の種類により、おおよその予想をたて実行していく訳であるが、その結果には大きく偶然の要素が入ってくる。ある意味において、偶然性も取り入れて制作していると言って過言ではないと思っている。当初は単純に内側を外にという作品から、空間的な作品、そして構成的な作品と様々な試みを経、現在の中に空間を擁した作品へとつらなって来ている。つまりこの作品も、私の意志と素材である黒みかげ石の意志との合作とも言えるのではないだろうか。
菅原 二郎 Sugawara Jiro
青春・愛
物を見るということは、繊細で可塑性に富んだ人間の感性がさまざまな彫琢を受ける受動的な行為でもある。あるいは、心の内に彫り上げた形や像を、外からの直接的な刺激によりさらに磨き上げる行為でもある。見るという行為は、柔らかで多様性を持った感性を養うだけではなく、思考のダイナミズムにも直接かかわるものでもある。見るということは五感の中でも、最も考えるということに近い働きとしてあるとも考えている。
絹谷 幸二 Kinutani Koji
環礁 ISLE-PERSON
ISLE・PERSON《島人》のバックボーンにも似た、上下の方向性を示す矢印記号は垂直の回路、現在ではいささか古びて感じられる語(我々が古びさせてしまった?)「固有の垂直の回路」(グレッグ・ベア)を意味している。そしてこれは、コミュニケーションの可能性について「今、再び...」の思いを持つことに繋がり、それが個の自立性と個が立脚する社会的基盤、この二つの関係について古典的とも言える問題を生じさせる。つまり、ある意味で(本質的に?)アンビヴァレンツな、この二つの関係を修復しようとする際に生じる様々な事柄を、矢印記号はかなり重要な意味で示唆するのだ。
方向性を持つ記号、垂直の回路が支持する先、そこには未知の他者、最も豊かな部分を持った全体、ちょうどファシズムの逆の極にあるもの、あらゆる部分が意味を持ち、自立しているグランドがある。そこでは、地域、場所を生態的秩序として、捕らえられる全体観(ユニバーサリズム)は放棄され、地域、場所に立脚するために世界の様々な地域、場所との文化の共有関係が認識されなければならない。その事により「固有な文化」という事柄も、地縁的な社会へ復古を意味せず、偏狭で力みかえった国家主義的民族観とも無関係なものとして再考されなければならないだろう。
そして、また、今再び繰り返す...
作家にとって作品は、前出のアンビヴァレンツを修復するツール、となり得るのか?それに向けての回路を開くブレーカーとなり得るのか?
道の他者とは、一体誰で、何処に居るのか!悶絶寸前のクルマエビにも似た形の島としての二ホンをISLE・PERSONは眺めている...
ハロー?ハロー?こちら人類の前哨......今、高加速で離れつつあるんだが......
ハロー?... ハロー?...
建畠 朔弥 Tatehata Sakuya
連態'92-3
数年来、「連態」という名の作品を作り続けています。「連態」とは、「連続する形態」といった意味の、私の造語です。
最初に、いくつかの部分、又は断片が作られ、それらの中から次の1つが接続されて、新しい空間が生まれます。2つの断片の関係は、3、4...7つぐらいまでふえてゆく事もあります。途中、やり直し、変更がくり返され、3次元のドローイングとも言えます。
彫刻が本質的に持っている構造という側面を解体してみたいという欲求が、「連態」のメインテーマです。
吉本 義人 Yoshimoto Yoshihito
気圏の森
森の中を歩くのが好きだ
緑の葉
草のにおい
撮りの虫達の声
きらきら光る木漏れ日
繰り返す四季の変貌
それらは幸せな気分へとみちびいてくれる
そして森は
人に 愛と やさしさと 勇気を呼び覚ます
小林 亮介 Kobayashi Ryosuke
痕跡
自然、生命、永遠の循環というものに魅かれています。
地球の誕生以来、人々は大自然の計りしれない生命の中で、生かされ、そして共存してきました。
水、空気、緑の樹木、生き物達など、それら自身のつくりだす不思議さ、神秘的なもの、美しさは永遠にくりかえされながらも、本来の姿を失わず、人知を超えたメッセージを伝えてくれ、人々に生きるエネルギーを与えてくれます。
自然界との交感と、人々の想像力のかかわりを根底に、遠い記憶をたぐいながら、言葉では表現しにくい自然と人とのインスピレーションを、かたちにできたらと思います。
未来への希望をこめて。
大須賀 万里子 Osuga Mariko
風の記憶
私は20年近く八ケ岳の中腹、原村の山の中で石彫の制作を続けています。生活しはじめた頃は西岳、権現などの山の姿がはっきりとここから見ることが出来ましたが、周囲の木々が成長して現在では森の中に埋もれてしまい、山は見えず、その変化に驚かされます。時折、国道近くまで降りていく時に八ケ岳の雄大な山なみを見る事が出来るが、見るたびにいろいろな表情をしている。
多くの生き物達の生活するこの山や森が、私達にどれだけたくさんの恵み、安らぎや喜びを与えてくれていることかはかりしれない。ここを通り過ぎる風は、その大いなる山の姿を永遠に記憶していることだろう。
下川 昭宣 Shimokawa Akinobu
風になるとき
...目に入ってくるもの、経験したことを記号に変えて記憶することよりも、映像のまま心に残す、つまり感覚的に物事を捉えることが多いのです。言葉にしたり、文字にしたりすると、その感動がその時急速にしぼんでしまうような気がするのです。僕の制作の仕方もそんなもので、実際には精密な設計図などない。設計図におきかえると、その時点で熱がさめてしまうんです。手で金属線を曲げながら微妙な曲線を描いていくという手仕事なのです。その手仕事の部分、僕の体温が見る人に伝わればうれしいわけです。なにか、空気とか風とか感じさせるものをつくりたいと思うのだけど、それが冷たいものでなくて、そこにいつも人間がいるようなものにしたいのです。作品の傍らに人間がいたり、フォルムこそ違うけれど作品自体が人間だあったりするような作品を作りたいと思っています。
西野 康造 Nishino Kozo
層 Layer
真夏の昼下がりに、製作中の作品を漠然と眺めていると作品の周りに生えている雑草が無性に気になり、制作を中断し草むしりを始めたことがある。草むしりの最中に感じる作品の表面や、石の存在はそれまでの感覚とは違ったものに変異することが時としてある。これは、石をわずかに移動したときなどに感じる作品とそれを取り巻く周囲の表情の違いに触れた驚きと同じようなものではないだろうか。私は、このような瞬間時に垣間見る未知なる現象が、時間とともにいくつもの層になって作品を形成し、新たなる時空を想像するのではないかと考えている。
林 武史 Hayashi Takeshi
ファッション'96
朝の、肌にしみ入るさわやかな空気、澄んだ空気、静けさ、なんとも心地よい風。
アルプスの頂にあさひが映え、光のひだが際だち、山肌の凹凸がくっきりと、澄みきった抜けるようなこのイタリアの青い空。
-朝ってなんでこんなにきれいなんだろう!!-
見事な眺めの中にある私の心をやさしくうるおすこの雰囲気、じんわりと身体中に染みていくような気分を記憶しておきたくて作品にしました。
柘植 猛志 Tsuge Takeshi
記憶の華
人生において華やかな出来事。喜ばしい物事。忘れがたい思い。僕らはそれをやわらかに受け止める。そして僕らは記憶する。
華やかな出来事。これは言葉で表せ尽くせるものではない。言葉で伝えられるものではない。何故なら華やかな出来事は、言葉より遥かに多くの刺激の熱い粒として心の中に広がっていくからなのだ。
言葉に表せない刺激とその粒は、脳細胞の枝葉の奥深く、何故か体の一部にでも熱い刺激の固まりとなって、そっと漂いながら積み重ねってゆくだろう。
記憶の積み重なりはどんな形を持つのだろう。どんな顔をしているのだろう。
高岡 典男 Takaoka Norio
微景音
夜明けを迎える山の姿にひかれる。
裾野にまとわりつく霞みやふるえる梢、そして風の賛歌をともない、山は立ち現れる。
静寂の中に雄大なドラマの始まりを思わせる。それは、一瞬のリアリティを感じる時でもある。微景音は塑造で手がけ、テラコッタに焼成したものから、ブロンズに鋳込んだものだ。土の声を聞き、対話し、遠近感をつけて、心にのこる遠景を求めた。
焼成の中で、ゆがみやクラックがさらに表情つけ自然な響きを奏でながら深遠な宇宙を予感させるイメージを形にとどめようとした。
米林 雄一 Yonebayashi Yuichi